僕達の心は、
一、物を相手にする眼耳鼻舌身(げんにびぜっしん)の心。
二、概念や記憶や想像が相手を考える心。
三、外へ自分へと何かに向かう自我意欲。
四、自分を守り得せんとする潜在的自我。
五、仏のようになろうとする潜在的菩提心。
がある。
これらの心はそのままでは利己的で排他的な苦しみを造る。
でも、第五の菩提心に導かれることで、
第四の利己的な自我を離れ人生の目的が変わり、
第三の意欲の向かう方向が変わり、向上心と慈悲心が広がり、
第二の考える内容と考え方が変わり、
第一の相手とする物、対象が変わり、
行動が変わり環境を変え経験と蓄積が変わり、
仏とは何かを掴み、自身が仏になろうとし、
相手とする世界を変革して本当に生きがいのある人生となる。
仏とは?
薬師如来とか不動明王とかそういった類のものではない。
高野山真言密教的には父母、ご先祖、そして導いてくれる善意の人々をいう。
そのなかの「三摩耶戒真言」では、
仏の心を持つとき即ち我は仏なり
仏の行いをするとき即ち我は仏なり
仏の言葉を語るとき即ち我は仏なり
と唱えている。
「涅槃の道場」では導かれた菩提心を上記のような変革に昇華させる。その一連の連鎖を総じて「涅槃」という。
(参考:不殺生平和万灯会文献)
(解釈:筆者)
人生後記:2021年5月14日
「三摩耶戒真言」を唱え、菩提心に導かれるままに、人生の意味を考えることが「涅槃(ねはん)」だという「涅槃の道場」で学んだことをふと思い出す。気持ち的にはすっかり整った「涅槃の道場」香川県のスタート。旅も終盤で、色んな意味を考えながら、歩いていたような気がします。
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