たっきーです。本日は、教育について。
今では考えられないことだけど、僕がまだ小学生や中学生だったときは、あたりまえのように体罰がありました。
今でも覚えているけど、小学校3年生のとき、先生に何かで叱られて、先生の目をみて話を聞いていると、「なに睨んでんねん!」っていきなりビンタされてたのを覚えています。話を聞くときはその人の目を見るんだよと、教えらたにもかかわらずです。
小学校6年生のときの担任の先生は、教室でいつも、パイプを吸っていました。ダンディな先生でした。
大人なって、あのときがあったから、今があるんだと思う場合と、あいつは今でも許せないって思うときがあると思う。
先生の厳しい教育のおかげで今があります。っていうのは、その教育が良かったという意味ではありません。
逆にどんな良い教育を受けても、あの先生は許せないってなるかもしれない。
なぜかというと、
過去の出来事(今回では学校教育)に、意味づけをしているのは今の自分だからです。
それを勘違いして、自分は厳しい教育のおかげで今があり、そのことに感謝している。だから、その教育は正しかった。というのは、主観と客観を取り違えている。
あくまで、過去の出来事に意味づけ(ここでは良い教育か、悪い教育か)しているのは、主観的な自分の気持ちであって、客観的な視野に欠ける。その教育が客観的に正しいかどうかは別にして、今は自分の過去を含めて、自己を肯定している状態なんです。
その自己肯定状態と、過去の客観的事実を肯定するのとは、まったく別問題です。
だから、教育問題を語るときは、過去の自分の受けた教育は、頭の隅に追いやったほうが良いかもしれません。


