たっきーです。
最近は色々と環境の変化がありまして。運動三昧です。
読書は、「哲学と宗教全史」、「ホモ・デウス」が進行中。なかなかに思うところのある書物です。
僕は「世界を変える一人になる」という言葉が好きです。なぜだろう、哲学的思考に耽っています。
その言葉はすごく自己肯定感を覚えるし、自尊心をくすぶるからです。
でも、人では世界は変えれないと思う。
「人には世界を変えれないけど、結果的に、世界を変えた一人になっていたっぽい」が正確な表記だろうか。
「世界を変える」定義は?
身近なところでいうと、ビル・ゲイツ氏と、スティーブ・ジョブズ氏ですね。この二人の名前を浮かべると素直に「世界を変えた人」だと納得する。
共通していることは「世界を変えた」プロダクトをたまたま生み出したこと。
おそらく、二人共「世界を変えよう」と思っていなかっただろう。いや、ジョブス氏は思っていたかもしれない。「世界を変えようと本気で思う、クレイジーな人間だけが、世界を変えれる」という名言を残しているから。
たまたま「世界を変える」プロダクトや発明になっただけで、「世界を変えよう」として「世界を変えれる」ほど世の中はうまくできていないように思える。
ここで哲学的思考が役に立つ。
哲学とは「世界や宇宙、生き方、存在、全てカバーできる」あらゆる学問の根幹と言われている。
本質を見極め、既存の枠組みを超えて物事を捉え、新しい意味や価値を生み出す。哲学的プロセスが「世界を変えよう」とする傲慢な心には必要だと思う。
これまで当然だと思われていることの意味を疑う。直感や過去の経験などを生かしながら多様な視点で捉え直す。関連性のなさそうなバラバラな事実を論理的な視点に基づき再構築する。そして、導かれた思考を概念化する。
「世界を変えた」二人は、そんな未来を予測していたのだろうか。いや、そうではない。未来を予測する最善の方法は、それを発明することだからだ。
「世界を変える」プロダクトは、完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することで初めて、その可能性を帯びる。
はてさて、僕がまさにそんな「完全な自由から生まれる芸術作品のようなプロダクト」を創造することができるのだろうか。・・・そんなことはどうでもいいんじゃないだろうか。
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