いつから僕たちは、自らの「存在」自体に「意義」を見いだせなくなったんだろう。
争いごとは絶えず、猜疑連鎖は続く。
猜疑連鎖。
現生人類であるホモサピエンスは、200万年前に誕生し、猜疑連鎖から他のサピエンスを絶滅させている。 そして、現代は単一人類種となっている。ちなみに、ヒトとは、真核生物ドメイン・動物界・脊索動物門・哺乳網・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒトとなる。(生物学上の分類、ドメイン・界・門・綱・目・科・属・種)
小説「三体」での猜疑連鎖とは、コミュニケーションできない2つ以上の文明が、お互いの「生存」の結果、他の文明を滅ぼすことをいう。
宇宙社会学では、生存は文明の第一の欲求である。ゆえに、お互いの「存在」の「意義」を見いだせない。
でも、宇宙社会ならいざしらず、単一文明社会である地球文明でさえ、いまだに、局所的な猜疑連鎖が起こっている。
通常は、コミュニケーションで解決できるはずの、猜疑連鎖が伸びると、戦争や紛争になる。おそらく、お互いの「存在」の「意義」を見いだせないからだと思う。
では、なぜ、「存在」自体の「意義」を見いだせないのだろう。
現生人類で唯一、その「存在」自体が「意義」を成しているのが、赤ちゃん、新生児である。新生児は成長し、成人になり、やがて「存在」に「意義」を求められるようになる。
そして、その「意義」はときに「正義」になり、ときに「悪」となり、他者を攻撃するようになる。
「存在」自体に「意義」を見出そうとするとき、本質的な問題は何だろう。
漫画「キングダム」で李牧がいう「人は人でしかない」 。 これこそが「存在」自体に「意義」を見出す本質ではないだろうか。
僕たち自体の「存在」に「意義」を見出すとき、僕たちが赤ちゃんを眺めるとき、そこに「正義」や「思想」を求めるだろうか?そこには純然たる「人は人でしかない」があるのみである。
黒人であろうが、白人であろうが、大富豪であろうが、貧乏であろうが、男であろうが、女であろうが、大人であろうが、子供であろうが、キリスト教徒であろうが、イスラム教徒であろうが、僕たちは「人でしかない」。
僕たちが僕たちの「存在」自体に「意義」を見出した時、
そこには、美しい心の状態がまっているのではないだろうか。
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