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なぜ、差別や偏見はなくならないのか。




 

たっきーです。

 

なぜ、差別や偏見はなくならないのでしょうか。

 

もともと人類は共生してきた。とても小さなコミュニティで生活してきた。まわりには同類の人種しかいなかったと思う。文化や人種という属性は、生きてきた地域の環境のなかでつくられた。

 

それが近代以降、世界はひとつになり、交流が生まれ、異質な文化、人種と向き合うことになった。共生の基本原則は、同じような思想、同じような人種、同じような行動様式であった。

 

違う人種、違う言語、違う風習である者同士は、不信感を抱く。不信感は、やがて猜疑となり、暴力や差別、偏見の原動力となる。

 

おそらく200万年におよぶ人類史で培われたDNAはそう簡単に書き換わらないと思う。

 

違う人種、文化の者どうしは理解できないという前提のもとで考える必要があるのではないだろうか。

 

同じ人類なのだから、理解しあえるという前提で、僕たちは差別と偏見に悩まされている。

 

世界が分断していくと嘆くが、分断してはいけないのだろうか。

 

世界はどうしてもひとつにならないといけないのだろうか。

 

別に差別や偏見を肯定するわけではないが、歴史観からすると、差別や偏見は視点によって変わる色眼鏡ではないのだろうか。社会主義を信じている人に、民主主義になれとは言えないし、たぶん、ならない。逆もまたしかり。アメリカのように多民族社会は、差別や偏見はなくならいかもしれない。差別や偏見をなくそうとするなら、同じ価値観、同じ信仰、同じ慣習、同じ民族の小さなコミュニティに属する必要がある。

 

差別や偏見があるという前提でより良い社会を築くにはどうしたらよいのか。現代の課題はそこだと思う。

 

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naohiro YOKOTAKI

NYC合同会社代表/ブランディング&ECコンサルタント/化粧品プロデュース/補助金・助成金サポート/大阪府出身/兵庫県在住/趣味は、水泳、マラソン、ロードバイク、サウナ、筋トレ、読書、映画鑑賞、株式投資/ペットは、チワワ、金魚とカメ/個人的な日常や事業について書いています。

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